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 理想通りのお付き合いが毎日変わる事なく実現し続けるという無茶を設定し、それがほんの少しでも達成されないと「わたしは雑に扱われた」と相手を非難する極端な人物像を設定し、その構成に「相手を大切にできないのは悪い事だ」という上っ面の正論を当てはめて正当化するという論法で作り上げられた主張。そして、その主張の全てに同意した訳ではなく正論の部分にのみ部分的同意した「いいね」も主張への全面肯定として一括集計し、結果的にその主張のすべてが大勢に受け入れられているという誤った根拠を作り上げる――こういった、最終的に自分の我儘を正当化させる(あるいはインプレッションの多さに満足する)ためだけのツイートに筆者はいい加減うんざりしているが、そんなツイートにも数千規模のいいねが付くのが現実であり、読者の皆様も毎日のように同様の現象を目にしている事と思う。

 上記のような主張にはツイートの最大140文字という文字数制限を逆手に取ってか知らずか「前提とされている理想がなぜ達成されなかったのか」という原因については一切記述されていないものが多く見られる。だが恋人とのお付き合いをごく普遍的な感覚で想像すれば、

・理想が何らかの原因で達成されない事は、社会生活において毎日のように当たり前に起きる
・自分の理想にパートナーが同意している事と、パートナーに優先すべき別件が生じてあなたの理想が後回しにされる事に、矛盾はない

 という事は概ね誰にでも理解できる事であり、何よりあなたが「理想が100%達成されなければ、それは何もできていない事と同じ」という主張で日々の付き合いを非難されたならきっとイラつきを感じるはずだ。何故なら恋人とのお付き合いにおいてはそもそもお互いに理想とするお付き合いの形があり、そしてお互いの理想が100%一致する事が現実的に起き得ない以上、お互いに日々の妥協や納得が必須だと頭ではわかっているからだ。

 お互いの理想を叶える事に同意し、その取り組みは何らかの原因で不完全な達成になったり後回しにされる事も度々あるが、しかし恋人という関係だからこそそんな不完全さを受け入れ乗り越え、相手のそんな歩み寄ってくれる姿勢を見て尊敬が深まり、より良い関係へと発展していく。これがおそらく多くの人が「理想にしたい」恋愛像のひとつと思う。そしてこの恋愛像には、理想が叶わない時は原因に対する理解(と対策)が必ず必要であるという前提が内包されている事も直感的にはわかっているはずなのだ。

 だが冒頭で触れた主張には、理想が達成されない原因は一切登場しない。もっと言えば「相手を大切にできないのは悪い事だ」という正論が添えられている事で「あなたが置かれているのは、相手の都合だけで一方的にあなたの理想が後回しにされている状況ですよ」と強く連想させられる構成になっている。そうなると、この主張を読んだ人の中には「恋人なのに自分勝手に振る舞うパートナー」を思い描く人が少なからず現れる。それどころか下手をすればまだ存在もしていないパートナー像に対してもそんな酷い印象を上書きさせられる人まで出てくる。当然そんなパートナーが相手の恋愛を良いものだと考える訳もなく、その感情に乗せられた人々がいいねボタンをタップする。こうして「いかにもどこかに居そうだが、実際には各々の頭の中で勝手に作り上げられた、想像上の可哀想な人物」に対する感情移入といいねが加速する。

 そしてここからが本題なのだが、恐ろしい事にいいねした人々の一部には「自分の理想が叶わないのはそれがどんな理由であれ相手だけが悪いという先入観」が植え付けられるのだ。同時に、この主張が多数のいいねを獲得する現象を見て「お付き合いを始めたらどんな理由があっても相手の理想を叶えないと捨てられる」と思い込む人も現れる。それがまったくバカげた話でない事は、あらゆるモテ技術が不特定多数からモテるという非現実をブチ上げているにも関わらず大勢がそれを正しい事だと思い込んで対象無き自分磨きに邁進している現実を見れば明らかだ。不完全ながらも寄り添い合う恋愛像を心では望みながら、ありもしない完璧な恋愛像へ自分や相手を当てはめて理想の恋愛ができない事にもがき苦しむのだ。筆者は人々がそんな悲しき恋愛独裁者に仕立て上げられる事を決して望まない。

 乱造される歪められた主張を世俗から消し去る事が不可能なら、あとはひとりひとりが情報を適切に取捨選択するしかない。理想だけを切り取り甘く味付けされたクソを飲み込まずに済むには、あなた自身がそれを飲み込んでも良いものかどうか判断できるようになれば良い。そういうリテラシーが身につけばうんざりするような内容のツイートも単なるTLの賑やかしとして華麗にスルーできるようになる。恋愛感情を利用され踊らされる事なく生きるためにも、まずは「耳障りの良い恋愛観のツイートには、140文字に敢えて収めなかった部分が必ずあるはずだ」という目を持つ事から始めるよう筆者はお勧めする。それでは今回はこれにて。
 2020_12_03


 恋人が風俗に通っている、と聞けばそのカップルの行く末を心配する気持ちを多くの人が感じるだろう。なぜなら我々の価値観においては恋人関係にある人が風俗へ行く事を悪と捉えているからだ。そう捉えるのは、セックスは唯一恋人とだけ行う行為であり、その理由はセックスが子を持つであろう将来への直接的行動だからであり、恋人以外の他人との間で妊娠が起きる事を避けるべきという考えがあるからだが、「不貞行為という倫理観に抵触する行為だから」というルールに基づいて何となく悪い事だから…と思っている人が大半と思う。

 しかし不貞行為の定義が適用されるのは配偶者となった相手との関係においてのみであり恋人関係においては性交渉を制限されるルールはない。はっきり言えば、ただの恋人関係にある人がどこで誰とセックスしたところで、パートナーが納得しておりかつ他人に迷惑をかけない限りは何ら問題はないのだ。恋人は風俗へ行き、自分はその事を認めており、風俗通いが恋人関係を解消する理由にならないとお互いに納得しているなら、もはやこのカップルに意見できる事はない。

 そしてここが肝心なのだが、そもそも恋人が風俗を利用していて自分もそれに納得しているカップルは、その事実を不満や愚痴として表に出したりはしない。その存在を知らなければそもそも誰も騒ぎにはしない。実のところ不貞行為にあたる行為を内々の関係者だけで納得しつつ楽しんでいる夫婦は皆が知らないだけで転々と存在していると筆者は予想しているし、恋人関係において同じようにパートナー以外との性交渉を認め合い各々の理由や動機に基づいて他者とセックスしているぶんには何ら一般的な趣味と変わらないとも思っている。

 この考えは、セックスを恋人とだけしたいと考える人や、恋人に自分以外の人とセックスして欲しくない人の意思を否定するものではない。恋人とのセックスを唯一とする人はその価値観に同意してくれる人とパートナー関係になれば良いのであり、何らかの理由で恋人以外の他人とのセックスも継続したいという考えを持つ人とパートナーにならなければ良いのだ。この棲み分けをきちんとしないからこそ必要のない不幸が量産されるのであり、結婚式で口にするたった一度の誓いの言葉で相手の性観念を判断するような軽率さを持たなければ夫婦関係になる前に価値観の摺り合わせと結婚の選択を考える時間はいくらでもある。あなたはあなたの価値観を明確にするだけでなくパートナーが自分と同じ価値観かどうか入念に確かめるべきなのだ。

 パートナーが風俗を利用している、あるいは利用してみたいと言っているなら、パートナーはセックスをあなたとの唯一の行為とは考えていない。その理由が何であれ嫌だと思うなら話し合わなければならないし、あなたに納得できない理由がないなら認めて構わない。これはあなたの価値観が試されているわけではなくパートナー選びの一環として判断材料を得ているだけの話なのだ。あなた自身が風俗や他人とのセックスに興味があるか、パートナーがいる状況でもそれを経験してみたいか、一度考えてみる事をお勧めする。それでは今回はこれにて。


 2020_07_25


 一般的な感覚では、彼女にお金を借りる男性はクズ男に分類される事が多く、もちろんその男性がクズだと判断される要因も様々にあるのだけれど、中には貸し借りに至った理由も聞かず「彼女にお金を借りるような男はその時点でクズだ」と言い切る風潮もある。実際には彼女にお金を借りたというのは何らかの原因があって生じた行動の一側面に過ぎず、その理由抜きに良し悪しを判断する事はできない。

 彼女にお金を借りたという行動が一側面に過ぎないという点については、その行動の前後関係を含めて考えるとわかりやすい。例えば、

「彼女にお金を借りたのは遊ぶ金欲しさだった」

 と聞けば多くの人がクズ男だなと即断するだろう。しかし、

「彼女にお金を借りたのは遊ぶ金欲しさだった。その男性はギャンブル依存症を抱えている」

 という事になると、その男性に対する印象はさほど変わらないものの、この男性と関係を続けており依存症を知りながらもお金を貸している女性像が気になってくるだろう。貸し借りが生じた事に対して「そんな男に金を貸すなんていったい何を考えてるんだ?」とか「もしかして彼女にはお金を貸す事に同意する理由があるのか?」等、それまで持ち得なかった角度からも見る意識が生まれる。そしてこれが、

「彼女にお金を借りたのは遊ぶ金欲しさだった。その男性はギャンブル依存症を抱えている。症状は通院で回復傾向にあり、これまで借りたお金は徐々に返済し始めている」

 となればいよいよふたりの関係における別の側面が見えてきて、この男性への印象も単なるクズ男とは違う何かへ変わっている事と思う。

 要するに、因果関係の一部分だけを切り取っても全体を判断する情報にはなり得ないという事だ。言い換えれば、その人の悪い一面だけを見れば悪人だが総体としての人格を判断するには長い目で捉える必要があるという事でもある(あるいは映画の予告編だけ観てその映画を理解したつもりになっている人を浅はかだと感じる感覚が読者の皆様におありなら、今回の話の要点はほとんど伝わっていると言える)。恋愛関係において相手の行動や価値観がほんの一片も違和感なく理想通りの人格者であるなんてのはまったくファンタジーだ。付き合っていくには相手の好ましい側面と嫌な側面の両方を受け入れる必要があり、それは好きなら嫌な面もただ我慢しろという意味ではなく、嫌な面についてもふたりで考えて改善を図れば良いのである。

 改めて彼女にお金を借りる男性というお題で考えるなら、まずお金が必要だった理由の妥当性を話し合う事。また、その貸し借りが二人の関係において損を生まない事であれば尚良い(例えばふたりで旅行に行く旅費を肩代わりする等)。そのうえで男性がお金を借りなければならない状況を減らす、つまり男性の収入を増やす見通しについて話し合いが持たれる事。こういったコミュニケーションが持たれた上でのお金の貸し借りならば、他人が何を言おうともふたりにとってはまったく異存ない貸し借りとなる。

 大切なのは結局、付き合っている当事者が納得しているかどうかという点に尽きる。彼女にお金を借りる男性がクズかどうかに正解は存在しないし、ましてその判断基準を決める必要性など一切ない。パートナーとの間で貸し借りがある事にふたりだけの意味を見出だしたなら、あなたはもはや何の不安を感じる事もない。


 2020_06_03


 この記事はお題箱宛に届いた投稿から、どうやらクリスマスイブまで(つまり今夜)に返答を求めているであろう内容だったものについて特急で書いている。少なからず誤脱や文体の崩れる部分もあると思うが許して欲しい。

 さて、まずはお題の要点をまとめると次のようになった。

・クリスマス合わせの予定を組んだが、どちらか一方の急用で予定をキャンセルした(どちら側の理由かは不明)
・昨日になってキャンセルの原因だった急用がなくなり、結果としてクリスマスを一緒に過ごす事に落ち着いた
・一緒に過ごせる嬉しさはある。しかしキャンセルした時の会話の気まずさ等の感情で、今回のゴタゴタをどう結論付けて納得すれば良いかがお互いまだ見えていないという不安がある

 さしあたってクリスマスを一緒に過ごすという点だけは両者同意しているから、各々の言い分と相互理解さえまとまれば充分何とかなる。さっそくひとつひとつ筆者の考えを補足しよう。

  ――――――――――――――――

◆ 当初の予定がキャンセルされた事

 この部分については「仕方ない」で済ませるしかない。その急用がどんな内容だったかは関係なく、急用に応じるしかないと判断したパートナーを尊重するという意味だ。それは間違いなく苦渋の選択であったはずだからだ。キャンセルされた側がどんなに怒ってもいいが選択を受け入れる必要はある。

◆ 結果として一緒に過ごす事になった

 クリスマスは冬の楽しみ、恋人らしいイベント日のひとつだ。クリスマスを恋人と一緒に過ごしているという状況成立には特別な感情も抱きやすい。投稿者のカップルは、少なくともクリスマスに恋人と過ごす事を大切な行事と捉えているのだろう。この点は大変良い考えだと筆者は考えていて、その瞬間相手に対してどんな感情を抱いていたとしても一緒にいればその考えを伝えることも話し合うこともできる、というのはコミュニケーション継続の根幹的工夫のひとつだからだ。これは言い換えると顔を合わせないというコミュニケーションの遮断を選択しなかった結果でもある。意図的に連絡を取捨選択するのと、一切の連絡を遮断するのは、まったく別次元の話だ。(自分の考えを整理する等の理由で一時的にコミュニケーション遮断したい場合でも、その旨だけは先に宣言しなければならない)

◆ 今回のゴタゴタの結論付けと納得

 キャンセルされた側には予定を崩された怒り、仕方なかったとはいえ二人の関係が優先されなかった悲しみ。キャンセルした側には自分のせいで相手を悲しませた負い目、仕方なかったとはいえそれを怒られた事への寂しさ。その他にもいくつかの感情が混ざって一言では表わせない事だろう。

 実は話すべきはこの一言では言い表せない感情があるという事そのものだ。下手に自己完結して「もう怒ってないからいいよ」なんて済ませるのではなく、どれぐらい悲しかったとか正直イラついたとか感じた感情をすべて伝えることで、相手の事を多角的に知る(=自分の事を多角的に知ってもらう)事ができる。この機会は本当に貴重だ。恋人同士で喧嘩したのに仲が深まるケースでもそうだが、相互理解が深まるきっかけは大抵の場合何らかの事件が起きた時に集約される。そして仕方ない事情が原因で衝突した場合は喧嘩と違って原因が外部にあるぶん、お互い納得もしやすい。

 衝突した直後は感情が先走るのもやむないが、誰でも時間が経てば冷静になる。冷静になったその時、衝突の原因が仕方ないものだと気づけたなら、むしろ積極的にお互いの価値観を理解し合う機会として活用するぐらいの気持ちで向き合えるのが筆者としては理想だ。

  ――――――――――――――――

 大事なことは対話の機会を逃さないことに尽きる。いいレストランに行くだのセックスするだのは考えなくていい。今夜か明日の夜、ゆっくり焦らず恋人と向き合って、お互いの考えていた事を出し切って、一旦すべて飲み込みあう。これさえクリアできればもう大丈夫だ。

 というわけで、この記事が投稿者の人生に間に合うかどうか(役立つかどうかもわからないが)、あとはサンタクロースに祈っておく。
 2019_12_24


 筆者は日頃から、セックスにおいて射精を目的としなければセックス関連のQOL(Quality of Life)は間違いなく向上する、と言い続けている。しかし中には筆者の説明不足によって誤解されている場合もあり、改めてちゃんと説明した方が良いなと感じた。

射精を目的としないセックスにおける筆者の論点は、以下のとおりだ。

①射精=疲れるという当然の帰結を避ければ、次のセックスに応じるのが楽になる
②女性のセックスの満足度に、男性が射精したかどうかは含まない
③射精に必要な男性の挙動は、女性にとって良いものではない

以下、順に補足する。


①射精=疲れるという当然の帰結を避ければ、次のセックスに応じるのが楽になる

 セックスにおける肉体的疲労は全身を使ってセックスに臨んだ結果だが、射精で生じる疲労感は少し違う。賢者タイムと呼ばれる精神的脱力感、体力の残り具合とは関係のない無気力感が生じて、その気分に引っ張られる形で動きたくなくなる。一回のセックスにおいて何回射精できるかには個人差があるものの、複数回射精できる精力の持ち主でも毎日それを続けろと言われれば大変さを感じずにはいられないだろう。また、肉体的疲労はセックスが上達することで軽減可能だが、射精に伴う疲労感をへ減らすことは難しい。

 男性がセックスを求められて面倒だと感じるのは肉体的疲労感ではなく、射精後に避けることが難しいあの「何もかもが終わった感」が嫌なのだ。セックスもできないほど肉体的疲労が溜まっていては日常生活すら満足にこなせなくなっているはずであり、セックスどころの話ではない。そもそも、セックスぐらいの肉体的疲労は毎晩の睡眠で充分回復可能である。もし貴女の彼氏が「疲れちゃってさ~今夜はセックス無しにしてくれない?」と言っているその時、疑うべきは体力不足でも浮気でもなく、精神的に嫌になっているだけと思って間違いない。

 そして、この精神的な落ち込みは射精しなければ確実に回避できる。もちろん射精できなかったという不満は生じるが、それはセックスというコミュニケーションを継続するためのコストとして割り切る。第一、筆者は射精を今後一切するななどとは言っていない。射精なしのセックスと射精ありのセックスの比率をどう設定すれば、お互いのセックス満足度がちょうど良いバランスになるか。それをふたりで探れば良いのだ。


②女性のセックスの満足度に、男性が射精したかどうかは含まない

 これについて異論がある事はわかっており、そのセックスで間違いなく男性が気持ち良く楽しめた証として射精という現象を求める女性は少なくない。この考え方については何ら否定する要素はなく、相手もちゃんと気持ち良くなってくれたかどうか想いを馳せるのは愛情の一面とも言える。

 しかし、セックスが終わった男性から「イった?」と聞かれた女性が「イってないけど気持ち良かったから満足だよ」と答えるケースが多数存在するという事実があり、その逆の問いかけをまず耳にすることがない以上、イく事だけがセックスの満足度を図る指針にはなり得ないという概念は女性には概ね受け入れているように思う。(女性が快感をまだ楽しみたいのに男性が射精してセックスが終わった場合など「私はイってもいないし気持ち良さも足りてない」という不完全燃焼状態に陥るが)

 女性の性的な満足度はことごとく男性側の価値観でのみ計られてきた。しかし女性側の視点で考えれば、セックスの満足度は主に気持ち良さを感じられている時間の長さで決まる事は明白だ。女性が射精した男性に対して「ちゃんと気持ち良くなってくれて嬉しいな」と喜んでくれるのは女性自身がそこまでのセックスで充分満足した場合に限る。充分満足できた女性とその相手だけが、射精という結果の是非を問えば良いのだ。


③射精に必要な男性の挙動は、女性にとって良いものではない

 これも賛否両論あると思うが、概ね女性はセックスにおいて激しいピストンを好まない。筆者の感覚ではそういった激しいセックスでも喜んでくれる女性との出会いは「かなりラッキー」と言えるぐらい珍しい。男性が射精するために必要なのは膣の締まりだの名器っぷりだのといった俗説にあらず、単純にチンコを上下する大きなストロークの刺激が感じられるかどうかだ。激しい腰の動きによってこのストロークが感じられれば、まずほとんどの場合射精可能である。

 しかし、激しい動きが苦手な女性は決して少なくないうえ、苦手どころか性交痛すら感じているケースも多々ある。話を聞いてみると、そういった女性が男性の射精に向けての動きを受け入れるには、何とか我慢できる特定の体位を見つけて合体中にもポーズの微調整を加えつつ対応していた。そして、そういった努力は受け入れるしか無い事だと意識している女性は少なくなかった。セックスというコミュニケーションを求められ、それがふたりの関係に必要である以上、我慢も受け入れるしかないという考えなのである。

 この話を、激しい動きでも平気な女性がツイてるだけと断じることはできない。そのセックスにおいて射精が必要かどうかは当事者の理由次第で決まる。苦しくてもそれが必要であれば我慢もできるが、射精が必要ないのであれば射精に関わる挙動をセックスから除外する事は可能だ。これもまた、射精したいという欲に応じるか、苦手な感覚を避ける事に応じるか、ふたりでバランスを考えて決めるべき事だろう。


最後に

 結局こういう話を突き詰めると、射精という結果がセックスを終わらせるわかりやすい現象として扱われてきたという背景に行き着く。だがそれは射精をセックスの唯一のゴールとする根拠にはなり得ない。単純に「もう眠いから、この辺で終わりにしよう」それだけの理由でセックスを終わらせても何ら間違ってはいないし、セックスに確実な満足度なんてものを設定することはナンセンスなのだ。ふたりにとって継続可能なコミュニケーションとしてのセックスとはどういうものなのか、そして射精という現象がその妨げになってはいないか、改めて検討してもらえたらと思う。それでは今回はこれにて。


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Author:壁埋まり夫
エロいことすべてに興味あり。フェザータッチや耳愛撫の素晴らしさも伝道中。

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