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射精を目的としないセックスの論点

カテゴリ: 雑談  

 筆者は日頃から、セックスにおいて射精を目的としなければセックス関連のQOL(Quality of Life)は間違いなく向上する、と言い続けている。しかし中には筆者の説明不足によって誤解されている場合もあり、改めてちゃんと説明した方が良いなと感じた。

射精を目的としないセックスにおける筆者の論点は、以下のとおりだ。

①射精=疲れるという当然の帰結を避ければ、次のセックスに応じるのが楽になる
②女性のセックスの満足度に、男性が射精したかどうかは含まない
③射精に必要な男性の挙動は、女性にとって良いものではない

以下、順に補足する。


①射精=疲れるという当然の帰結を避ければ、次のセックスに応じるのが楽になる

 セックスにおける肉体的疲労は全身を使ってセックスに臨んだ結果だが、射精で生じる疲労感は少し違う。賢者タイムと呼ばれる精神的脱力感、体力の残り具合とは関係のない無気力感が生じて、その気分に引っ張られる形で動きたくなくなる。一回のセックスにおいて何回射精できるかには個人差があるものの、複数回射精できる精力の持ち主でも毎日それを続けろと言われれば大変さを感じずにはいられないだろう。また、肉体的疲労はセックスが上達することで軽減可能だが、射精に伴う疲労感をへ減らすことは難しい。

 男性がセックスを求められて面倒だと感じるのは肉体的疲労感ではなく、射精後に避けることが難しいあの「何もかもが終わった感」が嫌なのだ。セックスもできないほど肉体的疲労が溜まっていては日常生活すら満足にこなせなくなっているはずであり、セックスどころの話ではない。そもそも、セックスぐらいの肉体的疲労は毎晩の睡眠で充分回復可能である。もし貴女の彼氏が「疲れちゃってさ~今夜はセックス無しにしてくれない?」と言っているその時、疑うべきは体力不足でも浮気でもなく、精神的に嫌になっているだけと思って間違いない。

 そして、この精神的な落ち込みは射精しなければ確実に回避できる。もちろん射精できなかったという不満は生じるが、それはセックスというコミュニケーションを継続するためのコストとして割り切る。第一、筆者は射精を今後一切するななどとは言っていない。射精なしのセックスと射精ありのセックスの比率をどう設定すれば、お互いのセックス満足度がちょうど良いバランスになるか。それをふたりで探れば良いのだ。


②女性のセックスの満足度に、男性が射精したかどうかは含まない

 これについて異論がある事はわかっており、そのセックスで間違いなく男性が気持ち良く楽しめた証として射精という現象を求める女性は少なくない。この考え方については何ら否定する要素はなく、相手もちゃんと気持ち良くなってくれたかどうか想いを馳せるのは愛情の一面とも言える。

 しかし、セックスが終わった男性から「イった?」と聞かれた女性が「イってないけど気持ち良かったから満足だよ」と答えるケースが多数存在するという事実があり、その逆の問いかけをまず耳にすることがない以上、イく事だけがセックスの満足度を図る指針にはなり得ないという概念は女性には概ね受け入れているように思う。(女性が快感をまだ楽しみたいのに男性が射精してセックスが終わった場合など「私はイってもいないし気持ち良さも足りてない」という不完全燃焼状態に陥るが)

 女性の性的な満足度はことごとく男性側の価値観でのみ計られてきた。しかし女性側の視点で考えれば、セックスの満足度は主に気持ち良さを感じられている時間の長さで決まる事は明白だ。女性が射精した男性に対して「ちゃんと気持ち良くなってくれて嬉しいな」と喜んでくれるのは女性自身がそこまでのセックスで充分満足した場合に限る。充分満足できた女性とその相手だけが、射精という結果の是非を問えば良いのだ。


③射精に必要な男性の挙動は、女性にとって良いものではない

 これも賛否両論あると思うが、概ね女性はセックスにおいて激しいピストンを好まない。筆者の感覚ではそういった激しいセックスでも喜んでくれる女性との出会いは「かなりラッキー」と言えるぐらい珍しい。男性が射精するために必要なのは膣の締まりだの名器っぷりだのといった俗説にあらず、単純にチンコを上下する大きなストロークの刺激が感じられるかどうかだ。激しい腰の動きによってこのストロークが感じられれば、まずほとんどの場合射精可能である。

 しかし、激しい動きが苦手な女性は決して少なくないうえ、苦手どころか性交痛すら感じているケースも多々ある。話を聞いてみると、そういった女性が男性の射精に向けての動きを受け入れるには、何とか我慢できる特定の体位を見つけて合体中にもポーズの微調整を加えつつ対応していた。そして、そういった努力は受け入れるしか無い事だと意識している女性は少なくなかった。セックスというコミュニケーションを求められ、それがふたりの関係に必要である以上、我慢も受け入れるしかないという考えなのである。

 この話を、激しい動きでも平気な女性がツイてるだけと断じることはできない。そのセックスにおいて射精が必要かどうかは当事者の理由次第で決まる。苦しくてもそれが必要であれば我慢もできるが、射精が必要ないのであれば射精に関わる挙動をセックスから除外する事は可能だ。これもまた、射精したいという欲に応じるか、苦手な感覚を避ける事に応じるか、ふたりでバランスを考えて決めるべき事だろう。


最後に

 結局こういう話を突き詰めると、射精という結果がセックスを終わらせるわかりやすい現象として扱われてきたという背景に行き着く。だがそれは射精をセックスの唯一のゴールとする根拠にはなり得ない。単純に「もう眠いから、この辺で終わりにしよう」それだけの理由でセックスを終わらせても何ら間違ってはいないし、セックスに確実な満足度なんてものを設定することはナンセンスなのだ。ふたりにとって継続可能なコミュニケーションとしてのセックスとはどういうものなのか、そして射精という現象がその妨げになってはいないか、改めて検討してもらえたらと思う。それでは今回はこれにて。

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 2019_12_19

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